母との旅
日吉通信(H20年5月29日)
中国四川省の大震災には驚きましたね。ミャンマーのサイクロン被害が霞んでしまう程の悲惨さで大変なショックを受けました。地震国日本も他人事ではないとつくづく思います。
現役時代、呉製鉄所の旧式熱延設備を中国山西省にある製鉄所へ移設する仕事に関与した事があるのですが、基礎工事の重要性を力説する担当者に対して、中国側は「大原では秦の始皇帝以来、地震と言うものが起きた事は無い!(日本ほど基礎に金を注ぎ込む必要は無い)」と豪語していたのを思い出します。
また阪神淡路大震災が発生した丁度その時には、私は南アフリカで技術援助の仕事に従事していました。刻々と断片的に入ってくる地球の裏側からの情報に、当初は軽く考えていた我々日本チームも段々と不安に駆られてきた事を思い出します。地震の当日、先方の社長がわざわざリーダーの私を現場事務所まで訪ねてこられ、丁重なお見舞いの言葉を戴いたのには恐縮してしまいました。
地震直後、被災者の救援に世界各国から人員派遣の申し出が殺到したのですが、当初日本側はこれを断わったため私の回りでもブーイングの嵐が巻き起こりました。特にドイツの連中は「日本人は高慢だ!」と本気で怒り私に抗議してきて困りました。
世界からの善意は無理をしてでも迅速に受け入れるのが国際マナーの様に思います。
<安曇野・八ヶ岳高原ドライブ旅行>
先月の家内の白内障手術から日が浅いため、連休は家でおとなしく過ごすつもりにしておりました。しかしながらお天気も良く、家内の目の調子も悪くなかったので急遽思い立って一泊ドライブ旅行へ出かけることにしました。
運良く安曇野のペンションの予約が取れたため、一日目は安曇野周辺の散策、二日目は久しぶりに八ヶ岳高原を訪ねる旅としました。
5月2日早朝、横浜の我家を出発する時は霧雨が降っていたのですが、幸いにも中央道を内陸に入るに従い絶好のドライブ日和に変わりました。安曇野は以前から一度訪れてみたかった憧れの地でしたが、イメージ通りのロマンチックな佇まいで我々を迎えてくれました。また2年前にインターネットを通じて知り合った知人に紹介され、お勧めの果樹園や釣堀兼バーベキュー場を訪ねたりもしました。泊ったペンションは森の中にあるなかなか雰囲気のある宿でしたが、名古屋方面からのお客が多く安曇野の地図上の位置を再認識いたしました。

写真:大王わさび農場(安曇野)

写真:リンゴの花(安曇野“森の果樹園”)
翌日は甲斐大泉にある妹夫婦の山荘(丁度連休で滞在中)を訪ねたのですが、八ヶ岳高原は春と新緑が混在する生き生きとした風情でした。ここでは妹夫婦と一緒に展望の良い峠に登ったり、アンティークショップを覗いたり最近オープンした人気のピザ店を訪ねたりしました。その後近くの温泉施設で汗を流し、午後8時を過ぎてから中央道(長坂インター)へ入り全く渋滞に遭う事も無く午後11時に無事我家へ帰着する事が出来ました。
考えてみると今年になって初めての一泊旅行でしたが、思い切って出かけて良かったと思っています。
<母との旅>
隣に住む私の母は現在87歳になりますが、家系は幕末の改革者“山田方谷”の流れを汲むそうで、昔から方谷については良く話を聞かされていました。彼女は役人の娘(一男三女の長女)で幼少の頃は広島県東城町(現庄原市)で育ったそうです。我々夫婦にとって東城町は“比婆ゴン”の棲む中国山地の僻地のイメージしかありませんが、昔はこの一帯に母の一族が経営する「帝国製鉄」があったそうです。
帝国製鉄と云えば山崎豊子の小説“華麗なる一族”の中にも出てきますが、実在の帝国製鉄は近代たたら製鉄法による高品質の鋼の製造を目的に戦前中国山地に興された会社で一時隆盛した様ですが、その後時代の流れに呑み込まれ消滅しています。
母は女学校に通うまで東城町で生活したそうで、幼少時のハイソで楽しかった思い出が今も忘れられぬ様です。これまでも何度か母に東城行きを打診した事はあるのですが、足腰の弱った父の傍を離れられぬの一点張りで最近まで頑として拒否し続けていました。この度家内と岡山県高梁市にある当家の墓参りに出かけるチャンスを捉えて、母を東城に連れ出す作戦を立て妹や弟たちの協力も得て遂にその気にさせる事に成功しました。
一泊二日の短い旅ですが、留守番する父の世話をしに妹夫婦が泊りがけで来てくれる事になり母も安心して出かける気持ちになった様です。また父がこの計画に大賛成してくれた事も母の背中を押したのだと思います。
一日目は新横浜から新幹線で岡山まで、その後JR伯備線に乗り換えて備中高梁で下車、墓参りを済ませてから高梁市内散策後に駅近くのホテルで一泊しました。

写真:頼久寺の庭園(備中高梁市)
翌朝は伯備線で新見まで足を延ばし、そこからタクシーを借り切って東城町へ向かいました。新見からはJR芸備線でも行けるのですが、なんせ過疎地でダイヤも日に数本しか無いと云う不便さで車を利用せざるを得ません。地域の人々の不便さを改めて実感しました。東城では半日ほど記憶を辿りながら母の思い出の場所(旧居跡や町並みなど)を巡ったり、一族が眠る墓所を訪ねたりしました。
古くからの土地だけに、町中には歴史を偲ぶ古い建築物や社寺仏閣などが残っており、今も変わらぬ自然の美しさとあいまって母の望郷の想いは十分に満たされたものと思います。
その後新幹線で夕方7時前には横浜の我家に戻りましたが、母も諦めていた心の古里を訪ねる旅が実現出来てとても喜んでくれ、本当にお供の甲斐がありました。

写真:旅館として現存する造り酒屋の建物(庄原市東城町)
今月半ばに在京の昭和41年入社OB組6名が京橋の「みみ卯」に集まり同期会を行いました。一年ぶりの再会でしたが、全員変わりなく元気にシニアライフを楽んでいる様で喜ばしく思いました。
話題はもっぱら健康維持の話や息子,娘の結婚問題,孫の自慢など他愛ないものに終始しました。現役時代のような競争意識は完全に消え、共に激動の時代を生き抜いた連帯感を改めて共有し楽しい一時を過ごしました。
今年は日本政府と国連が共催するアフリカ開発会議(TICAD)が5年ぶりに開催される年に当たるそうで、今回は横浜市が会場となります。この一環として市内では関連する行事が色々なレベルで企画されていますが、先日菊名の港北区役所近くにある国際交流ラウンジ(小さな地域の施設)で南アフリカ共和国を紹介する集いがあると聞いて、興味があったので家内と出かけてみました。殆ど人は集まらないのではと心配していたのですが、小さな会場は40名を越す人たち(大半はシニア)で盛況でした。
南アフリカ共和国大使館から一等書記官(白人女性)がやってきて、プロジェクターを使い国の内情を紹介してくれましたが、総花的で我々夫婦のような現地滞在経験者には少し物足りない内容でした。質疑応答の時間でも活発に手が上がり、さすが国際都市横浜の住人だなと感心した次第です。
2010年には南アフリカでワールドカップ:サッカーが開催されますが、多分これが契機になって日本人のアフリカに対する関心や理解がより進むのではと思っています。
おわり
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