この十年間

日吉通信(H24年1月31日)
<この十年間>
皆さん本年もどうぞ宜しくお願いします。当方もお陰様で平穏なスタートを切っています。
今年は我々夫婦が広島県呉市より当地に越してきて10年目を迎える区切りの年に当たります。十年前、不安と期待が半々のリタイア生活を新天地(横浜日吉の両親宅隣に小さな家を建て・・・)で始めたわけですが、当初思い描いていた理想のスローライフとはかなりギャップがあった様に感じています。また私にとって今年は古希の年でもありますのでこの十年間を総括し、これから自分の最終章をいかに過ごすべきか考えてみたいと思います。
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写真; みぞれの中の薔薇(ピエールドロンサール)
10年前、リタイア生活を始めるに当たり特に不安に思っていた点は経済的な問題と新たな人間関係の構築がうまく出来るかどうかでした。大都会での年金生活は惨めな思いをする事が多いのではとの漠然とした不安がありましたが、幸いな事に心配は杞憂に終わったと思います。これは会社の企業年金制度のお陰によるもので、日新製鋼に勤めて良かったと改めて感謝しています。また後述のアルバイト収入も加わり、今日まで現役時代の生活レベルを維持し不自由のない暮らしが出来ている事は本当にありがたい事と思っています。
一方新しい人間関係構築の件に関しては、初めての土地なので気心の知れた会社関係や学生時代の友人が身近におらずいまだに寂しい思いをしています。唯一満足しているのは二人の息子とその家族が近くに住んでおり毎週末には全員集合して一緒に食事が出来ることや、私の弟と二人の妹がいずれも首都圏に住んでいるので隣に住む両親に何かあった時には全員直ちに駆けつけることが出来るなど、この点は大変心強く感じています。
呉生まれ呉育ちの家内にとっての疎外感は私の比ではなかったと思います。唯一近くの地区センターで行われる月二回の茶道同好会に出かけるのを楽しみにしていますが、彼女にとって呉の肉親や友人、知人たちと遠く離れてしまった寂しさは本当に良く分かります。
リタイア後の楽しみについてですが、自分がその場面に臨んだらおのずと自身に適した新しい出会いがあるものと密かに期待しておりました。しかし残念ながら今日まで趣味にしても運動にしても没頭できるようなものはまだ見つかっておりません。
町田に住む私の弟はゴルフ,水彩画からボランティアの手品教室まで多彩な趣味を楽しみ忙しくしておりますが、これはやはり彼の社交性による影響が大きいと思っています。
例外は当地に来るまで全く考えてもしていなかった私のアルバイト“新しい仕事”で、これは意外と長続きし十年近くにわたり私の日常生活の中心になっています。このブログでも以前何度か触れた事がありますが、高田の馬場に住む長男が、十年ほど前に京橋に法律事務所を開設し、丁度こちらへ越してきた私にしばらくの間事務所を手伝って貰えないかと言ってきたのがきっかけでした。法律事務と云っても私の場合は簡単な雑用程度の内容が殆どで、それも週4日,日に5時間程の楽な仕事ですので、肉体的,精神的負担なしに今日まで続ける事が出来たものと思います。
一般にはリタイア後の仕事は、現役時代の仕事内容に比較すると重要度が低くまた若輩の上司から命令を受ける形となりますので、現役時代の自負が強かった人ほどプライドを抑えるのにかなりの葛藤があると聞きます。
その点私の場合は全く例外的な環境だったせいで長続き出来たのかも知れません。ただ年々体力的な衰えの進行(特に視力)も自覚しておりますので、今の仕事も年内がメドになるのでは・・・と考えています。
今の仕事は私にとっての生き甲斐でボケ防止にも役立っているだけでなく、僅かでも決まった報酬を月々受取る事はささやかな楽しみにもなっています。家内との外食や小旅行などに出費を気にしなくて済む別ポケットがあるのは実に有り難い事です。
現役時代に思い描いていた夢の一つに夫婦での海外旅行があります。それも出来れば月単位のロングステイを楽しみたいと考えていました。リタイア後数年は毎年海外旅行を計画し、ささやかながらプライベートの旅を楽しむ事が出来ていました。しかし隣に住む両親の高齢化が進み、近年では長期間家を空けることは難しくなっています。弟や妹達は自分達が留守を守るので是非出かける様に勧めてくれるのですが、なかなか割り切りのつかないのが現状です。そんなわけで最近は殆ど長期の旅行はしておりませんが、今年は両親の体調を見て適当な時期に出かける事ができればと考えているところです。
私もこの八月に古希を迎えます。残酷なもので本人にその自覚が無くとも歳だけは確実に重ねていることを痛感してしまいます。考えてみると残された人生も残り少なくなってきました。これからの十年が私にとって生き生きと輝く事の出来る最後の十年間になると思っています。これまでの十年を反省材料に今後計画的,効率的な生き方をしてゆかなければならないと考えているところです。
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写真; 我家の庭の霜柱
<年賀状>
昨年末には友人知人や親族宛に250枚ほど年賀状を発送しました。現役時代からは100枚ほど減っておりますが宛先の確認や印刷に要する労力はかなりのもので大変です。現在は殆どの人がパソコンにより本文や宛名印刷を行っており昔の様な手作りの良さは失われてしまいましたが、以前には見られなかった写真入のものが数多く見られる様になり楽しさは以前と変らないと思います。昔はプリントゴッコを使って夜遅くまで家族共同作業で賀状作成した事を懐かしく思い出します。当時我家で問題だったのは面倒な宛名書きを家内にして貰うため、何度も頭を下げご機嫌を伺いながらやったことです。
年賀状については虚礼なので廃止すべきとの意見が一部にあります。またわざわざ郵便ハガキで出すよりも電子メールの方が現代風だとの意見も良く聞きます。しかしながら年賀状は年に一度の“生存連絡便”として郵便ハガキで出すところに人間関係を大切にするアナログ的な意味があるように思います。僅かな時間でもハガキを見ながら元気でいることをお互いに確認しあうのはとても意味のある事と考えます。
私は字を書くのが苦手なのでこれまでは夫婦のスナップ写真を賀状に挿入するパターンを繰り返してきました。
昨年は東日本大震災などがあり年賀状の表現内容も自粛すべきとの声があったので、我々もとりあえず今回は二人のスナップ写真の掲載は止めにしました。今年はこれまでとは違った新しい年賀状の配置,内容を考えるべく今から検討しておきたいと思っています。本年戴いた年賀状は約250枚程度でしたが、なかには人間味溢れる素晴らしい作品も見受けられ楽しませて貰いました。その中で特に印象深かった作品をひとつ紹介いたします。これは親しくして戴いた会社時代の知人からものですが、昨年ドイツに渡り自転車でフランクフルトよりブレーメンまで走破した様子を描いたものだそうです。
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写真; S氏からの年賀状
おわり


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我家の団地

日吉通信(H23年12月30日)
今月初めに近くの川崎市立井田病院に入院していた父が一ヶ月ぶりに退院しました。
お陰様で体調は以前と変りませんが、足腰がかなり弱っていますので今後のリハビリが必須の様です。退院により我々の生活もようやく本来のペースが取り戻せると安堵した矢先、今度は私自身が体調を崩し年末ぎりぎりまでグズグズしておりました。単なる風邪の症状なのですが、私の場合はいつもこじらせてしまい毎日沢山の薬のお世話になっていました。そんなわけで今年は年末の仕事がなかなか片付かず一部は年を越してしまいそうです。
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写真; 慶応大学(日吉)の銀杏並木
8日には海外事業部OB有志の会が銀座の「梅の花」で開催されたので顔を出しました。私は会社時代、海外事業部に在籍した事は無いのですが、仕事上の付き合いが多かったせいか親しい人が多くいつも声をかけて貰っています。今回出席したのは7名でしたが、皆さんどなたもお元気で現役時代のままと云った印象を受けました。
11日の日曜日には家内と県民ホールまで横響の「第九」を聴きに行きました。いつも一緒する大学時代の友人夫婦とは会場で落ち合いました。
これ迄と違い今年から全席指定のチケットに代わりましたので当日並ぶ手間が省け便利にはなったのですが、以前の様な座席選択(当日早めに並ぶ必要はありますが・・・)の余地が無くなってしまったのは少々残念な気がしました。私のお気に入りの場所はオーケストラや合唱隊の全体が見渡せる二階正面席なのですが、今回は一階中央席でした。
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写真; 横響「第九」閉演後の風景
閉演後、友人夫婦と関内にあるスペインレストランへ食事に向かいました。
ここは友人がたまたま見つけてくれたレストランですが、店の雰囲気やスタッフの対応、なによりも料理の内容がまさに“本物のスペイン料理店”で大いに満足しました。
私は現役時代にスペインで長期にわたり仕事をした経験があり、本場のスペイン料理に親しむ機会が幾度となくありました。帰国後も懐かしいスペイン料理の味が忘れられず、あちこちのスペインレストラン(国内ではあまり多くない)を捜し歩いては失望を繰り返していました。銀座のあるレストランではスペイン人のウエイターが接客してくれましたが、出された料理はどれもチマチマしたものばかりでスペイン料理特有の田舎臭さやボリューム感に欠け幻滅してしまいました。また横浜駅近くのスペインレストランは日本人向けの調理がなされており、丁度中国人が日本の中華レストランの料理は本来の中華料理ではないと言うのと同じだと思いました。今回訪れた“カサ デ フジモリ”と云う店は、これぞ捜し求めていた“本物のスペインレストラン”で今後気の向いた時に度々訪れたいと思っています。
Christmas
写真; 我家玄関のクリスマスオーナメント

<八幡団地>
現在私の住む団地はかっては“八幡団地”と呼ばれ昭和40年代に旧八幡製鉄㈱が基礎研究所用地として所有していた広大な土地の一部を従業員に分譲したのがはじまりだそうです。当時は一区画100坪前後が標準で典型的なサラリーマンの住む中規模団地(200区画程度の)で、俗称“八幡団地”と呼ばれていました。当初は八幡製鉄関係者の団地だったのですが、その後時代と共に住人も入れ替わり現在では八幡製鉄とは無関係の人々が大部分となっています。また区画も徐々に分割が進み、現在ではかっての一区画が二ないし三区画(40坪程度)に細分化されています。また分割されていない区画も二世帯住宅に建て直したお宅が多く見受けられます。そう云う私の家も両親の住む敷地の一角に小さなマッチ箱の様な家を建てたものです。
現在の住人はその大部分がリタイア族で高齢化しており静かですが団地にはあまり活気がありません。大学教授や裁判官,医師などのお宅も多く気軽な近所づきあいが憚られる雰囲気も多少ある様に思います。

長年あった新日鉄基礎研究所は数年前リストラの一環で当地より撤退する事になり、残された広大な敷地は関連の不動産会社が団地に造成し一般に売却する方針が出て、昨年全ての造成地の売却が完了したところです。ここは400戸級の大団地で各戸40~50坪区画で家並みや公園,街路樹などが調和を保ちながら配置され、団地までは日吉駅から東急のミニバスが走るなど都心へのアクセスも大変便利です。また団地全体をセキュリティ会社が一括管理するシステムが採用され防犯上の対策も万全となっています。ここの住人は子供のいる3~40代の若い夫婦が主体で洒落た団地内は子供の歓声があふれ活気に満ちた生気のある雰囲気が感じられます。我々も時々この団地内を散歩するのですが、親しい友人夫婦を招いて庭先でホームパーティを楽しむ風景が見られるなど絵に描いたような今風の典型的な中産階級の団地になっています。
これに対して道一つ隔てた我々の住む団地は、人通りもまばらな静かな団地でまさに対照的です。ただ静かなだけなら何の問題も無いのですが、唯一最大の問題はご近所との交流が殆ど無いことです。地方の人には信じられないかも知れませんが、一部の例外を除きご近所の名前や顔や家族構成を知らないお宅が大半です。通りで出会っても挨拶も出来ぬ状態です。ご近所で不幸が発生しても後になって知ることが殆どなのです。
勿論町内会の組織は役員の方々の尽力で正常に機能しており、ゴミ出し問題などで紛糾する様な事態は聞いたことがありません。この様に地域社会の人間関係の希薄さは大都会の住人、特に高齢者にとり深刻な問題だと思います。私たちの場合は、近くに次男夫婦のマンションがあるほか、親しいお隣が一軒、また近くに北九州時代からの友人が住んでいるなど、万一の時にお互い助けが求められるアテがあるのは不幸中の幸だと思っています。長年呉に住んでいた頃の経験では、ご近所との関係はもっと密接で、万一の時にも安心して情報伝達や助けが求められる環境が当たり前のものと思っていました。
当地に来て感じるのは人間関係の希薄さで、これは高度成長時代以来の日本社会の根源的な問題だと思います。原因はお互いの干渉を極端に嫌う都会人の特性からくるもので、特に現役時代に社会的に高い肩書きを持っていた人ほどこの傾向が強い様に思います。
今年は3月の東日本大震災をきっかけに“絆”の大切さが再認識されておりますが、今後の日本社会にとって地域の人間関係の回復と維持は特に重要視せねばならないと考えます。
今年は公私共にあまりパッとした年とは言えませんでしたが、古希を迎える来年は是非飛躍の年にしたいと気持ちを新たにしています。皆さんどうかよいお年をお迎え下さい。
おわり

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